佐田岬ふるさとウォーク2015

 
八幡浜市役所~佐田岬はなはな(国道フェリー三崎港横の観光施設)の46.5kmを歩き通す「佐田岬ふるさとウォーク2015」が5月27日(土)に開催されました。
私は今回も門限タイムペースメーカーとして、一人でも多くの参加者が制限時間内に完走できるよう、ゴールへ追い込む役目(笑)を自主的に担いました。
 
この使命を効果的に果たすため、例年改善に努めていますが、今回は一本歯高下駄で歩くことにしました!
以前はじめて全行程を歩き通したときには(もちろん普通の靴で)、疲労困ぱいしたものですが、ランニングで鍛えている今では何でも無くなってきています。
 
そこで、一本歯高下駄を履くことにより参加者へ頑張りを一層強く喚起するばかりか、私自身の有り余る体力への足かせともなって自分に苦難を与えることができると思いつきました。
 
当日は残念ながら午前中雨が降り続き、木製の下駄が雨で傷むのがイヤだったので非常用に携帯していたサンダル(ワラーチ)で歩き、雨が上がった後半の20kmを一本歯高下駄としました。
 
佐田岬ふるさとウォークは、伊方町(旧瀬戸町)出身の冒険家・河野兵市さんの北極点単独徒歩到達を記念して当初「河野兵市ふるさとウォーク」ではじまったものです。
その後河野さんは、北極点からふるさとの佐田岬半島までを、徒歩やシーカヤックなどにより5年がかりで帰還する『河野兵市リーチングホーム2001』の途上で命を落としました。
 
私は河野さんとは面識がなく、直接刺激を受けることはなかったのですが、一般人が参加しやすいチャレンジイベントをのこしたことは意義深いと思います。
私は単なるお手伝いではなく、自分へのチャレンジの場としても取り組むことで河野さんの思いに応えようと、このイベントに協力する松山カヌークラブの一員として例年、スタッフゼッケンや頭上フラッグなども全部自前で用意してボランティア参加しています。
 
毎回のイベント参加者全体の歩行距離の合計は、今でもあの世で続いている河野兵市さんのふるさとへのリーチングホームの加算になっているに違いないと、私は思います。合掌
 
佐田岬ふるさとウォーク2015

【一巡目】結願・御礼参り(JR坂出駅~79高照寺~88大窪寺~1霊山寺)

 
四国遍路が結願しました!
 
このたび、JR坂出駅から88番札所「大窪寺」まで走って、1200kmの遍路旅に終止符を打ちました。
これで、本当の“お遍路ランナー”です。
昨年3月上旬に父親が亡くなり、一周忌までに満願する目標を立てていましたが、無事に果たすことができました。
そしてさらに、御礼参りに40km走って、遍路スタート地点の1番札所「霊山寺」へ帰り、“四国一周”としました。
今回、6キロの荷物を背負って130kmほど走ったのですが、走りの振動で重さが一段と加わってしんどかったです。
 
霊山寺へ御礼参りに向かう途中、10番札所辺りから、遍路を始めたばかりの巡礼者と逆方向ですれ違うことが多くなるのですが、皆さん出で立ちがピカピカで、まるで小学校の新入生です。
中学校や高校や大学の新入生とたとえても良いのですが、意識的にはやっぱり小学生くらいに見えてしまいます。自力遍路で結願を果たすとそれくらい気持ちになるのではないでしょうか。
私が結願して御礼参りに霊山寺へ走って向かっていることを告げると、ビックリ顔!期待通りの反応をしてもらえました。
 
今回、泊まった宿に、“凡て真なるものは小事のまごころから始まる”という言葉が飾ってありました。「何事もまごころを込めることで意味をなす」と私は解釈しましたが、まさにこのたびの遍路で教えられたものとして感じていたことでした。
 
四国遍路は一巡して元の場所に戻ってきます。強い精神力と体力も得られて、成長した自分でまた新たな一巡を始めることができます。良い流れを継続すべく、二巡目を変わった趣向で、またはじめようと思います。
これって「お四国病」!?
 
走り遍路

【一巡目】阿波一国打ち(1霊山寺~23薬王寺)

 
父親が亡くなったことで乱れた気持ちに整理をつけたいと思っていた時に、四国遍路開創1200年の話題が耳に入り、そうだ!走ってお遍路をしてみようとヒラメキました。「走り遍路」です。
ひらめいてから実行までは日を要せず、5月連休後半の5月2日~6日に最初の区切り打ちの走り遍路を行い、一気に1番「霊山寺」~23番「薬王寺」の徳島県一国打ちを完遂できました。

はじめはテントなどの野宿道具を含めた10kg程度の重たい荷物を背負って走っていましたが、走る振動で荷が重くのしかかることがわかりました。このままでは最後まで走り通せないと判断し、12番「焼山寺」の山道に突入する前の2泊を野宿したのちに、野宿道具や不要物をコンビニから自宅へ送り返し、その後は宿に泊まることにしました。
荷物の重さが半分くらいに減ったことでようやく山道も走れるようになりました。

荷物を身に着けて走る場合の最重要アイテムは、両手に持つトレランポール(ストック)だとわかりました。ポール無しでは思うように走り通せなかったかもしれません。
身体や荷物の重量負担を足と腕に分散させることができ、とても楽になります。
また、登り道や平坦道においては前方へ推進力を付けるように腕力を利かすこともできるし、下り道では左右の振れを抑えるようにポールを突くことで安定感が増し、疲労が大きく抑えられたと実感できます。なお、どの場面でもポールを突くことが走りの抵抗となってしまわないよう(ブレーキが掛かってしまわないよう)、突き方に注意しました。

走り遍路って、走っている最中もいろいろ考えることがあって、結構忙しいです。
まず、走り遍路だというからには、歩き遍路と進む距離があまり変わらなければ恥ずかしいですから、いかに頑張るかをずっと考えています。その一方で、参拝を手抜かりしては本来の遍路修行の意味がなくなるので、どこを効率化させるかを考えています。
また、泊まり場所を決めることにも気疲れします。体力勝負でどこまで進めるかの見通しを付けることが難しく、どの辺りできょうの宿を決めて予約しようかとずっと考えています。野宿の場合でも、適地を見つけることがかなり大変ですし、田舎になると夕食や朝食の食糧確保もままなりません。車なら遠くの店でも気軽に行けますが、自分の足ではそうもいきません。

また、寺の納経所が開いている時間が7時から17時までですので、案外これに1日の行動が制約されます。1日の最後のお寺に17時ぎりぎりに到着した場合、先に納経所を済ますこともありました。また、先々のことを考えて、どうしてももっと先に進みたいときにはスゴい裏技も考え付きました。
17番「井戸寺」(徳島市国府町)から18番「恩山寺」(小松島市)の間は17kmほどの距離があり、今後のことを考えるとこの日は井戸寺までの納経を済ませたいと思いましたが、どうしてもあと30分ほど足らない計算でした。そこで思いついたのが、16番「観音寺」はとりあえず納経所だけを済ませておき、そのまま3km先の井戸寺へ向かうことでした。
実際、井戸寺に到着したのが17時少し前でした。先に納経所を済ませてから本堂と大師堂をお参りし、読経しました。ここから再び一つ前の観音寺に逆戻りして、やっていなかった本堂と大師堂のお参りを行い、つじつまを合わせました。巡礼の順番として成立しているのかグレーなところですが、余分な距離を走り辛い修行を行ったことで帳消ししたと考えておくことにします。この日の宿は徳島市繁華街の24時間サウナで、到着したのが21時頃でした。翌日は5時頃に起床して先へ進むことができました。
このスゴい裏技をやっていなかったら、お寺の納経所が開く朝7時までは井戸寺で足止めをくらうところでした。この足止めをくらっていたなら、もしかしたら一国打ちを完遂できなかったかもしれません。

歩きにしろ、走りにせよ、労苦を伴ったお遍路修行はとても良いものだとわかりました。
お遍路している間は、このことにどっぷり浸かって非日常のときを過ごすことになりますので、心身がリフレッシュできます。
情報洪水で時間に追われる忙しい日常生活から離れることで、自分に向き合っていろいろ考えることができましたし、日常にはないドラマもありました。

お遍路によって、これまで自分の生活に追われて考えることもなかった親族や先祖のことを想ったり、モノやカネに執着する心の貧しさなどを反省したりしていると、いくらか心も清くなった気がします。そもそも汚れた心や貧しい心では良い考え方や行いもできません。
何より、仏神に祈願することとは身勝手なお願いをすることではなく、自分の目標を明確にしてやるべきことを決意し、その実行を仏神に見守ってほしいと願うことではないかと私なりに気が付くことができました。
お遍路の時だけ拝むのではなく、日常でも目標を明らかにして拝むことで人生が大きく変わるかもしれないと思いました。

これまで信仰心などなかったのですが、今年父親を亡くし、何らかの形で強く冥福を祈りたいという気持ちが湧き起こり、ランニングを趣味としていることから四国八十八ヶ所を走ってお遍路したら一石二鳥だと、ひらめきました。
そうしたら、お遍路に得ることがたくさんあることがわかり、これはハマると感じました。「お四国病」なんて言葉もあります。

次回の区切り打ちは、日和佐から室戸岬への80kmランからです。
次は何を得ることになるのか楽しみです!

走り遍路

千羽海崖コースタル・トレイルランニングレースに出場!

千羽海崖コースタル・トレイルランニングレース2014

千羽海崖コースタル・トレイルランニングレース2014

平成24年1月19日(日)、国内で1年の最初に行われるトレイルランニング大会「千羽海崖コースタル・トレイルランニングレース2014」(徳島県日和佐)に出場しました。
ロングクラス(34km)とショートクラス(13km)に合計690名の参加者が全国(北海道~九州)から集まりました。

私は、ランニングを始めてほぼ1年、力試しの出場となりました。
コースに階段が大変多く、階段がなければ登り下りが困難な急坂がたくさんあります。階段があるが故に走ることができるともいえ、無理を強いられます。
また、足場の悪いガレ場もあり、気を抜くと捻挫してしまう恐れもあります。

中盤までは自分なりにイイ調子で走れて、こんなに体力が増してうれしいなと感じ好成績を期待していたのですが、徐々に足が破壊されていたようで、ついに終盤、思うように走れなくなりました。
「歩きに来たのではない、走らんか!」と何度も自分を叱咤しましたが、序盤からオーバーペースだったのかもしれません。

あまりの苦しさに半泣き状態でゴール。
当初目標の「中位以上」は何とか達成できました!

大会でもなければ、こんな苦しいことは途中でやめています。
ステップアップには大会出場が有効だという認識を深め、もっと距離の長い新たなトレラン大会にさっそくエントリーしました。(^-^)v

第4回十和トレイルランニングに出場します!

「十和トレイルランニング」の開催地は、私がカヤックでよく川遊びをしている四万十川のコースのほとりにある地区です。
この地区にある急流から「ふるさと交流センター」(キャンプ場)までの区間をよく川下りしています。
以前、ふるさと交流センターの管理人さんから、近くの集落でトレラン大会が開催されるようになったと聞かされました。
少子高齢化・人口減少の過疎集落の典型みたいなところで開催される、このトレラン大会にとても興味を持ちました。…(続きは「里山トレランHP」にて)
 
 ≫ 里山トレランHP

第4回十和トレイルランニング

第4回十和トレイルランニング

安全運転はリスクマネジメントに通ずる!

 
 仕事で車を運転する必要がある部署に異動になってから、安全運転教習を何度か受講する機会がありました。
 ある教習で目からうろこのことを学びました。
 安全運転からリスクマネジメントに結び付くとは思いもよりませんでした。
 

 安全は始めから有るものではありません。
 有るのは危険です。
 安全について関心を持って危険の予兆をいち早くに認識し、その対策を講じることで安全は生まれます。

 
 そしてそれは、あらゆるリスクマネジメントに通じます。
 (経営リスク、業務課題、災害、冒険等への対応)
 
 無関心が最も危ないのです!
 潜む危険や問題にいかに対応するか。
 まずは危険を危険としっかり認識することが重要です。

 
 さて、安全運転に話を戻して…
 複数の教習で共通して言われたことは、「車間距離」「危険予測」です。
 
■車間距離 
 自動車を運転するときに遭う交通事故の種別で最も多いのは何でしょうか?
 それは、「追突事故」です。
 追突事故を避けるために最も有効な防衛手段は、車速に応じた「車間距離」を十分に確保することです。
 
■危険予測
 同じ場所を運転していても、人によって危険と思う場面やタイミングが異なります。
 ただ何となく運転している人は、危険と感じる回数が少なく、また気が付いたとしてもタイミングが遅いです。
 つまり、事故に遭う確率が高くなります。
 安全運転とは、危険を予測しながら運転するということです。
 
■その他の危険
 このほか、近年、気を付けなければならないのが、増加する「高齢者」「自転車」です。
 高齢の運転手や歩行者は想定外の動きをすることがあります。
 自転車では、交通ルールを無視する人や、音楽を聴きながら・ケータイ(スマホ)を操作しながら乗っている人も増えています。
 自動車運転者は、交通弱者保護の責務が課せられていますので、こういう人たちにイライラして怒ることよりも、事故を避ける行動をとることが最優先です。
 
 
◆鈴鹿教習◆
 緊急自動車の運転教習を鈴鹿サーキット併設の自動車教習所で受ける機会もありました。
 
 緊急自動車といっても、パトカーのように逃走車を追いかけることもありませんので、安全を確保しながら、確実に目的地に到達することが目的です。
 スピードが増せば、危険も増します。
 運転手だけでは危険回避の安全確認に限度がありますので、助手席者のサポートが必須です。
 サイレンを鳴らして緊急走行する時の運転手と助手席者との役割分担やコミュニケーションの取り方や、助手席者が行うスピーカーアナウンスが難しかったです。
 

 
 

鈴鹿教習の昼休みにサーキットを覗いてみました。
個人の走行練習でしょうか、ポルシェがひときわ爆音を上げて走っていました。
 

由利島からDASHで帰る途上で艦船に出くわす!

 
 由利島の近くに大型船の航路が通っています。
 関西と九州・韓国等との間を結ぶこの航路には、いろんな船が走っていておもしろいです。
 仕事で、商船や漁船、巡視船、外国船など、いろんな船に関わったことがありますので、そもそも船舶には親しみがあります。
 

 
 大型船航路をまたぐ必要があるとき、ビビっていてはいつまでたっても先へ進めません。
 私は大型船の動きがだいたい読めますので、突進するつもりでできるだけ近づき、やってくる大型船に対して道を譲るか、先に横切ってしまうかの判断を行います。もちろん動力船に比べ手漕ぎでは圧倒的に進行速度が遅いですから、そのことを計算する必要があります。
  
 以前、大型船が通過するラインの手前で待っていると、韓国の貨物船の船長らしき人がブリッジからわざわざ出て来て、私に向かって大きく手を振ってくれたことがありました。大型船だろうが、手漕ぎ小舟(シーカヤック)だろうが、同じ船長同士です。心通じるものがありました。
  
 今回も大型船航路で船舶の動きを見ていたら、何やら見慣れない形の船が遠くからやってきました。もしかして自衛隊の艦船かなと思ってたら、大当たりでした。2隻が前後に並んで航行していました。呉基地に帰るところでしょうか?
 通常の大型船舶であれば、シーカヤックに乗った私を見て、又は見えていないのかもしれませんが、避けることはあまりありません。でも、艦船は私たちを避けるようなラインを取っていました。おそらくかなり手前から、双眼鏡を持った見張隊員が「前方にシーカヤック発見!」と航海長等に報告し、多少避けるライン取りをしてくれたのだと思います。
 私からは、ありがとうの気持ちを込めて、背筋を伸ばして最敬礼を行いました。
 それにしても、機敏で足が速そうで最新型みたいな艦船で、カッコ良かったです。
 



 

由利島へシーカヤックでDASH!


 

松山市沖の無人島、由利島へシーカヤックで行ってきました。
DASH島は由利島で間違いありません。
トロッコ列車のレール据え付け資材がありました。
先週の番組で、TOKIOのメンバーがアワビ、サザエを焼いた石積みの「かまど」も、網の上に貝のカラを置いたままにしてありました。
現場で土木作業をしていた業者の人から、島全体を借り切っているので出て行ってほしいと言われ、短時間の上陸でした。
 

 
9時30分に梅津寺から出航した当初、結構、潮が流れていて、興居島渡りの海峡や、その後、釣島を横に見るまでの間は手こずって、時間を要しました。
由利島を目指すも、漕げど漕げと近づかず、どう考えても今日中に行って戻れないと諦めようとしたとき、気が付きました。
あれは大水無瀬島であると…
潮の流れを考えて、大回りしていたコースを慌てて修正し、由利島についたときには、14:30。5時間漕ぎ続けました。
もうヘトヘトで、野宿を考えて上陸したら、先のとおりです。
 



 
暗闇ツーリングを覚悟で15時に帰途につき、ついに興居島あたりで闇に包まれました。
場合によってはこうなると思い用意していたヘッドランプを点滅させながら、興居島海峡を越えて梅津寺に戻ってきたのは18:30でした。
 


 
由利島に到着したときにはかなり体力を消耗していましたが、長距離を漕いでいるうちに体が慣れフォームが固まり、密かに蓄えられていた底力と相まって、ゴイゴイ漕ぎながら、早いペースで無事帰還しました。
 
昨日は天気良く、風なく、海が穏やかだったので日帰りできましたが、ちょっとでも荒れてたら厳しいでしょうね。
由利島へは途中で避難する島もないので、注意が必要です。
 

シーカヤックで島めぐり

 来る大洲市カヌー駅伝ツーリング大会の練習も兼ねて、久しぶりにシーカヤックツーリングを行いました。松山市北条の通称モンチッチ海岸から安居島(あいじま)、中島、睦月島、野忽那島を回って北条に戻るルートで全行程40kmでした。【8時出発~18時到着】

 安居島は帆船時代は潮待ち・風待ちの港としてにぎわいを見せ、遊郭もあったそうです。でも、昭和に入り船舶の大型化、動力化とともに、港町としての機能が失われ漁村となりました。最盛期の人口は500人で、現在20人程度となっています。これでも平成21年に移住一家があって持ち直した数字なのです。
 >> 新聞記事(朝日新聞)
 島にはこの人口で簡易郵便局が残り、小型の旅客船も北条との間で運行されています。島には宿泊施設はありませんが、夏季には本土からの日帰り旅行者を受け入れられる便が運航され、釣りや海水浴や島めぐりする人が少ないながら訪れるようです。
 だからこの日、私のようなよそ者がうろついても変な目で見られることはありません。もっとも沈みそうな手漕ぎ舟(シーカヤック)で来たことには驚かれますし、これから中島を回って帰ると言ったらさらにびっくりされました。

 さすがに最後の方は漕ぎ疲れましたが、最後の難関があります。野忽那島から北条の間の大型船航路を渡ることです。関西から九州の間を結ぶ本船航路に加え、松山港に出入りする貨物船や旅客船の航路が複雑に入り混じる海域です。航路の位置、航路標識、船舶に関する法令などを知って大型船の動きを読むことができなければいけませんし、潮流や風が吹き付ける中でもしっかり艇をコントロールして大型船をかわせるだけの体力やテクニックも必要です。

全体行程40km、所要時間10時間(漕いでる時間:7時間、平均時速:5.7km)
8時出発、18時到着
■松山市北条モンチッチ海岸→小安居島(無人島)
 距離9km、所要時間1時間30分、平均時速6km(無風、潮流ほとんどなし)
【小安居島にて休憩10分】
■小安居島→安居島
 距離3km、所要時間30分、平均時速6km(無風、潮流ほとんどなし)
【安居島にて探索、休憩1時間】
■安居島→中島(港)
 距離13km、所要時間2時間、平均時速6.5km(無風、順潮)
■中島→睦月島→野忽那島(東海岸)
 距離7km、所要時間1時間25分、平均5km(無風、やや横潮)
【野忽那島にて休憩50分】
■野忽那島(東海岸)→北条モンチッチ海岸
 距離8km、所要時間1時間30分、平均5km(無風、やや横潮)

四万十川カヤックツーリング

 
今日は暖かい良い天気でした。
四万十川でのカヤックツーリングも楽しかったです。やはり遊びは自然の中に限ります。

川で遊ぶ者がいることで川の自然が守られる可能性があると私は思っています。
多くの人々が川に近寄らず見向きもせず、排水路や用水路くらいに考えたら、川はどうなってしまうでしょうか。水に入れば、川に何が起こっているのか分かります。
私たちは、汚染された川や人工物で味気のない川では遊びません。
カヤックが遊ぶ川は、きれいで、自然が守られている川です。

カヤックに関心を持つ若者は年々減っています。
四万十川で一年を通じて遊んでいる趣味グループは私たちのほかは、あまり見かけません。
川遊びも御多分に洩れず、高齢化の波が押し寄せています。
こんな楽しい遊びができるフィールドを放っておくことはもったいないことだと思っていますが、もしかしたら、将来すたれてしまうかもしれません。
こう考えると、過疎地域の活性化にも似た問題です。

ちょっと硬い話になってしまいました。話を本題に戻して…
今日は春の陽気に誘われて、松山方面と東予方面から6名の仲間が集まり、四万十川の三島の瀬からふるさと交流センターの間を瀬遊びしながら下りました。



数日前の雨の影響か、水量は平常より少し多めで、三島の瀬ではサーフィンを楽しめました。
しかし、水量が多くなるとその分、体力を要します。
もっと体力があれば、もっと楽しく遊べるのにと、悔しい思いが湧きあがります。
カヤックするたびに「今度こそは体力づくりに本気で取り組むぞ」と意気込むことの繰り返しですが、今回も“今度こそは頑張ります!”